2011年・年の瀬にあたって(東日本大震災関連のまとめ)


もう数日で2011年が終わり、2012年です。ご存知の通り、2011年は悲しい出来事が多すぎた年でした。
いい事と言えば......なでしこジャパンのW杯優勝、個人的には学位取得、妻の祖父が百歳、その程度しかすぐには思いつきません。

3月11日の東北地方太平洋沖地震を発端とする東日本大震災では、仙台市も被災して全てのライフラインが使えなくなり、一時は外部への連絡手段も絶たれました。東北大学も例外ではなく、電気やインターネットの復旧に2日ほどを要しました。電気の復旧後にWebサーバは無事に自動復帰しました。3月15日には研究室の電源も回復し、大学院教育情報学研究部・教育部のWebサイトに教員及び学生向けの緊急連絡を掲載しました。そして3月18日から、同Webサイトの私のページに震災関連の短いメッセージを掲載し始めました。

最初は次のような内容でした。HTMLソースをそのまま流用します。
東北地方太平洋沖地震について (2011.3.18)
既に地震発生から一週間経過しました。
被災された皆様に衷心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。また、多くの皆様から心温まるお見舞いを頂戴しました。心より厚くお礼申し上げます。

地震発生直後から、本当に沢山の方々から安否確認のメールやお電話を頂戴しました。
ご存知の通り、あらゆるインフラが機能不全ですぐにお返事ができず、大変ご心配をおかけ致しました。
また、インフラ復旧後、できるだけ全ての皆様にご連絡しようと努めておりますが、数が多すぎてお返事できない場合もありそうです。
誠に申し訳ございません。

震災から既に一週間経過しておりましたが、ひとまず私自身が無事である事をいつでも伝えられる手段とし、Webサイトを使うようにしました。幸い「為川雄二」「東北大 為川」あたりの検索ワードを使えば、ここのWebサイトにたどり着ける事は以前から知ってましたので、この場が最適だろうと判断したのです。

その後は、おおよそ月に1回のペースで震災関連のメッセージを更新したり、震災復興関連のリンクバナーを貼り付けました。以下、順を追ってメッセージを振り返ります。

東日本大震災について (2011.5.6・その2)
大震災からもうすぐ2ヶ月です。この間、想像できないほど沢山の方々からお見舞いを頂戴しました。本当にありがとうございます。

またこの2ヶ月間、仕事や私用で東京や西日本などを訪れました。震災の受け止め方が地域によって様々である事を痛感しました。仙台市青葉区界隈も少しずつ復旧と復興に向かっております。
しかし宮城県そして東北関東の太平洋沿岸には、復旧がなかなか進まない地域がまだあるようです。全ての被災者が笑顔になれるまで、震災に終わりはありません。もう少しだけ頑張りましょう。でも疲れた時は休みましょう。

いわゆるゴールデンウィークを過ぎた後のメッセージです。
この頃はまだ仙台市中心部も落ち着きを取り戻していない様子と、沿岸部の悲惨な様子がメッセージに込められています。
また、このメッセージを機に「笑顔」がキーワードになりました。この頃から笑顔を取り戻すことこそが、真の復興なのかもしれないと思い始めました。


東日本大震災について (2011.6.10・その3)
大震災から3ヶ月です。あっと言う間の3ヶ月でした。
先日、津波の被害を受けた沿岸部を訪れました。3ヶ月経った今も、瓦礫だらけでした。復旧はまだまだ先のようです。
全ての被災者に笑顔が戻るまで、震災に終わりはありません。

沿岸部、具体的には岩沼市の仙台空港周辺を訪れました。
テレビの向こう側の世界とは違う、360度広がる生の惨状は、私からあらゆる言葉を奪いました。


東日本大震災について (2011.7.11・その4)
大震災からもう4ヶ月。あの頃の仙台は雪が降るくらい寒かったのに、今は猛暑です。
沿岸部の被災地は、いっこうに片付かない瓦礫と暑さで、衛生状態が心配されます。
被災者を含め、全ての日本人に笑顔が戻るまで、震災に終わりはありません。

2011年は夏の到来が早く、電力の使用規制もあり、非常に厳しい夏でした。
乾電池で動く首かけ扇風機や、水を浸すとしばらくは清涼感が得られるタオルなどがヒット商品になりました。


東日本大震災について (2011.8.11・その5)
大震災からもう5ヶ月、暦の上ではお盆(旧盆)です。
警察庁が今月8日発表したところによれば、大震災による死者は1万5683名にのぼるそうです。
震災の有無に関わらず、初盆を迎えるご家族にとっては、いつもと違うお盆になりそうです。
私自身、親族・知人の初盆は今年ありませんが、宮城県民・仙台市民の一人として、いつもとは違うお盆です。
全ての人に笑顔が戻るまで、震災に終わりはありません。

大型自動車や、被災証明書・罹災証明書を取得した普通自動車は高速道路が無料で使えるという大失政のために、東北地方のインターチェンジは大渋滞になりました。住民全員に罹災証明書を配布する自治体が出てきたり、証明書の発行に数ヶ月を要したり、証明書の発行基準が自治体によってマチマチで、制度設計の甘さが露呈しました。
個人的には、ひょっとしたら罹災証明書を取得できたかもしれませんが、本当に困っている人々にいち早く救いの手が届く事を願うとともに、大きな損失が無かった私たちが証明書を受け取る事は、制度の悪用につながるのではないかという思いもあって、結局取得しませんでした。今でもその考えは間違えていないと思っています。


東日本大震災について (2011.9.12・その6)
大震災から半年経ってしまいました。被災地の復旧・復興が本当に進んでいるのか、正直言って分かりません。

今月初旬には台風12号が紀伊半島をはじめ西日本に甚大な被害をもたらしました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りし、ご遺族の皆様へ深くお悔やみを申し上げるとともに、被災された皆様にお見舞い申し上げます。

今年の日本は自然の猛威、特に水害に怯える一年です。
人間のおごりに対する自然からの警鐘なのかもしれませんが、個人的には犠牲が大き過ぎる警鐘に感じられます。
いずれにしても、全ての人に笑顔が戻るまで、災害に終わりはありません。

台風12号の猛威を見て、本当に今年は何なんだと思いました。


東日本大震災について (2011.10.11・その7)
大震災から7ヶ月も経ち、東北地方は少しずつ寒くなってきました。
仙台内陸部は震災の事をふと忘れてしまいそうになるほど平穏です。一方沿岸部はまだまだ瓦礫の山。国からの支援が遅く、沿岸部の方々は苛立つ日々をお過ごしの事と思います。ここまでくると、もはや人災と言わざるを得ません。

全ての人に笑顔が戻るまで、災害に終わりはありません。

東北の冬は本当に早く訪れます。
日本には四季があって、夏は暑いし冬は寒い。そんな当たり前のことすら分からない人間が、高い税金を取って何も策を講じない。今の日本はそんな国なのかもしれません。


東日本大震災について (2011.11.11・その8)
大震災から8ヶ月、東北地方の気温は摂氏10度を下回るようになってきました。
宮城県女川町の仮設住宅が完成し、町内の避難所が全て閉鎖になったというニュースを一昨日聞きました。宮城県内に残る避難所は気仙沼市だけです。
タイの洪水やトルコの地震。今年は世界的に受難の一年のようです。
全ての人に笑顔が戻るまで、災害に終わりはありません。

そして12月12日、最後のメッセージです。
東日本大震災について (2011.12.12・その9)
大震災から9ヶ月、仙台にも初雪が降りました。本格的な冬に突入です。思えば3月11日の夕方も吹雪でした。 宮城県石巻市では、避難所を出たものの自宅の改修が間に合わない方などが入っていた「待機所」も、昨日全て閉鎖されたそうです。
先日、機会があって宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)海岸付近に行きました。少しずつ、少しずつ復旧に向けての作業が進められていました。それでも先は長そうです。
全ての人に笑顔が戻るまで、災害に終わりはありません。

これと言って大した事を書いた訳ではありませんが、こうして振り返ってみると、2011年がいかに大変な年だったかを改めて痛感します。

ちなみに、上記のメッセージを掲載した後日、気仙沼市の避難所も閉鎖され、ようやく宮城県内の全ての避難所が閉鎖されました。震災から実に9ヶ月以上もかかった事になります。



私たちはあの地震を経験してもなお、元気に生きています。いえ、あの地震を経験してもなお、生かされているのです。不幸にして亡くなられた方々の無念さを推し量ることはできません。亡くなられた方々を悼む気持ちは、同じ地域に住む者として決して忘れることはないでしょう。しかし、いつまでもクヨクヨし続ける人生を、果たして亡くなられた方々は望んでいるでしょうか? むしろ、生かされた私たちは与えられた残り時間としての人生を全うし続ける中で、今回の震災を少しずつ、そしていつまでも伝えていくことこそが、不幸にして亡くなられた方々から与えられた使命の一つではないかと思います。思い上がりは百も承知です。私たちは私たちにできる方法で、できることをするだけです。

私と私の家族に対し、友人・知人から様々なお見舞いを頂戴しました。本来、災害見舞いは返礼をする必要がないそうですが、何らかの方法で感謝の気持ちとともに、地震直後の私たちの様子をお伝えしたい一心で、妻と二人で一冊のレポート『我が家の東日本大震災』を作成して、6月にお配りしました(メールや電話だけの方にはお配りしておりません。お許し下さい)。上記の文章は、そのレポートの「あとがき」に書いたものです。この気持ちは今も変わりません。

2011年。この災い続きの一年を忘れることなく、未来に向けて邁進していきましょう。
来たる2012年は、「復興元年」です。新しい日本のために、できる事から始めましょう。
このページをお読みの皆様におかれましても、そうあっていただけたら嬉しく存じます。

長々とありがとうございました。
そして、最後に
いつかきっと、みんなで笑いましょう!

2011年12月28日(今年最後の出勤日)・研究室にて
自署


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