いつか「障害者」がいなくなる社会をめざして (1998/06/28)


上記のタイトルを見て「こいつ何考えてるんだ?」と思った方、これからのハナシは理解できないかもしれません。なぜならあなたの中に「障害者はいつまでたっても障害者だ」という意識があるからです。

そもそも「障害者」って何で「障害者」って呼ばれてるんだ? まぁ昔授業で聞きかじったWHOの定義によれば、まず身体に何らかの機能的障害がある、つまり"impairment"の状態があって、そしてそれによってできないことがある"disability"の状態になる、んでもってそれによって不利益を被る"handicap"の状態、これを「障害」と言うらしい。つまりだ、眼鏡をかけてる人は視力が低い"impairment"があって、それによってモノがよく見えないっていう"disability"があるんだけど、眼鏡って道具のおかげでその"disability"が"handicap"までには至らないってことで、逆を言えば世の中に眼鏡という便利な道具がなければ、僕も私も「障害者」ってことだ。日本人なんて眼鏡使用者が多いから、もし本当に眼鏡がなかったら、「障害者」の比率がグーーーーンと上がるぞぉ

ってことは、"handicap"に至らないような便利な道具さえ発明できれば、世に言う「障害者」がいなくなるってことも考えられるな。もともと僕がコンピュータに興味をもっていて、期待しているのが、この点なのです。少なくとも意思伝達のために、もっとコンピュータが役に立てないかしら、と常日頃考えてはいるけど、今一いいアイデアが出ないんだけどね。でもいつだったか、例によってIRC(Internet Relay Chat: インターネット上で文字ベースのチャットができるもの)で英語の練習だ!と海外のチャンネルに入ったら、とあるヨーロッパのどこかの国の人と話しができたんだ。最初は「あんたどこの国の人だ」なんて会話(これはお約束)から始まって、「普段何やってるんだ」とか何とか会話が進んで、僕が「自分は大学院で聴覚障害を勉強してるんだ」なんて言ったら、「それは興味深い、実は私は聴覚障害者なんだ」なーんて返ってきた。この時は驚いたねぇ。その人がそう言うまでこっちは向こうが聴覚障害者だなんて分からなかった訳だからね。つまり、少なくとも彼はIRC上では障害者じゃない訳。こーゆー事があるから、コンピュータってのに期待しちゃうんだよねぇ。

でもさでもさ、いくら便利な道具ができたところで、カバーできるのは"handicap"の部分だけであって、余所の国は知らないけど、悲しいかな日本じゃ、その人にちょっと珍しい"disabled"があるってのが明らかになると、即「障害者」ってレッテル貼られて、ジロジロ見られちゃうんだよね。そういう点では、人々の意識を変えない以上、いつになっても「障害者」っていなくならないかもね。

何の因果か、大学で障害児教育ってのに関わった以上、この問題についてはこれからも考えていきたいね。




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